なぜ機能訴求だけでは「指名」されないのか?──哲学者クリプキの"固有名"に学ぶBtoBブランド戦略

Kripke × BtoB Marketing Strategy

なぜ機能訴求だけでは
「指名」されないのか?

哲学者クリプキの"名前の理論"が教えてくれる、スペック競争を抜け出すBtoBブランド戦略

「クラウド型で、API連携ができて、業務効率を30%改善します」「高精度・短納期・ISO認証取得済みの精密部品加工です」──あなたの会社の製品やサービス、こんなふうに紹介していませんか? 実は、機能をどれだけ並べても「社名で検索される状態」にはなりません。その理由を、哲学者クリプキの理論からひも解きます。

理論的背景

ソール・A・クリプキ『名指しと必然性』(1972年)

20世紀を代表する哲学者クリプキが、ハーバード大学での連続講義で展開した画期的な議論。「名前とは何か?」という問いに対し、従来の「名前=特徴のまとめラベル」という常識を覆しました。邦訳は八木沢敬・野家啓一訳(産業図書)。講義録ベースなので、哲学初心者にも読みやすい一冊です。

クリプキの核心──「名前 ≠ 特徴のまとめ」

クリプキ以前の哲学では、「アリストテレス」という名前は「プラトンの弟子」「アレクサンダー大王の家庭教師」「『ニコマコス倫理学』の著者」…といった特徴をまとめたラベルだと考えられていました。これを「確定記述」と呼びます。

しかしクリプキはこう問いかけました──

「もしアリストテレスが、実はアレクサンダー大王を教えていなかったとしたら?」

もし名前が特徴の束にすぎないなら、「アレクサンダー大王の家庭教師は、家庭教師をしていなかった」という意味不明な文になってしまいます。でも「アリストテレスは家庭教師をしていなかった」はふつうに理解できますよね。つまり──

確定記述(属性の束)

  • プラトンの弟子
  • アレクサンダー大王の家庭教師
  • 『ニコマコス倫理学』の著者

⚠ 特徴が変わると、指す対象も変わってしまう

固有名(固定指示子)

アリストテレス

✓ あらゆる特徴が変わっても、同じ人物を指し続ける

マーケティングに翻訳すると?

BtoB企業が自社を「クラウド型CRM」「高精度・短納期加工」と紹介するのは、まさに確定記述で自社を定義している状態。でもその説明に当てはまる会社は市場にたくさんあります。だから「別の会社でもいいよね」になってしまうのです。

SaaS企業の「確定記述」

  • 「クラウド型のプロジェクト管理ツールです」
  • 「AIを活用した営業支援SaaSです」
  • 「導入企業1,000社以上のMAツールです」

製造業の「確定記述」

  • 「公差±0.01mmの高精度切削加工ができます」
  • 「ISO 9001認証取得、航空宇宙グレードです」
  • 「多品種少量から量産まで、短納期対応です」
確定記述(属性の束)
固有名(ブランド名)
プラトンの弟子、家庭教師…

哲学
アリストテレス
「クラウド型CRM」
「AI搭載営業支援」

SaaS
Salesforce
HubSpot
「高精度センサーメーカー」
「産業用ロボットの会社」

製造業
キーエンス
ファナック

機能訴求だけでは限界がある理由

一般検索で勝っても、指名検索は増えない

「精密加工 小ロット」「CRM おすすめ」で来たユーザーは「自分の問題を解決してくれるもの」を探しているだけ。あなたの会社を探しているわけではありません。競合が出れば流れてしまいます。

スペック競争は終わりがない

「AI搭載」「5軸加工機」「ノーコード対応」──いずれ競合も追いつきます。特徴の束で差別化しようとする競争には、終わりがありません。

確定記述型 固有名型
検索行動 「CRM おすすめ」
「精密加工 短納期」
「Salesforce」
「キーエンス」
ユーザーの状態 比較検討中 指名したい意志あり
競合との関係 複数社と比較される 比較を経ず選ばれやすい
CVR 相対的に低い 非常に高い
価格競争 巻き込まれやすい 巻き込まれにくい

「名前の力」を育てる3つのアプローチ

クリプキの理論から導かれる、実践的なマーケティング戦略

1

「命名」を大切にする

── クリプキの「命名儀式(baptism)」

クリプキは、名前が対象と結びつく最初の瞬間を「命名儀式」と呼びました。BtoBでも、ブランドネーミングはいちばん最初の、いちばん重要なステップです。

ユニーク

他社と混同されない

簡潔

口頭でも伝えやすい

記憶しやすい

忘れにくいインパクト

✓ 固有名として強い例

「ミスミ」「THK」「キーエンス」──短くユニークで、エンジニアの記憶に残る

✗ 一般名詞型の弱さ

「〇〇精密工業」「クラウド営業支援」──他社と混ざり、指名検索の受け皿になりにくい

2

「名前の受け渡し」を戦略的に設計する

── クリプキの「因果連鎖」

命名儀式で生まれた名前は、人から人へ受け渡されて生き続けます。マーケティングでは、この「名前の連鎖」を意図的に設計することがカギです。

STEP 1

命名儀式

STEP 2

因果連鎖

STEP 3

剰余の蓄積

GOAL

指名検索

SaaS企業の因果連鎖

ウェビナー → SNS発信 → ユーザー事例 → 指名検索

製造業の因果連鎖

展示会 → 技術資料DL → 工場見学 → 指名検索

3

「スペックに載らない体験」で愛着を宿らせる

── クリプキの「剰余」

名前には特徴では表現しきれない「あまりの部分」がある、とクリプキは示しました。ブランドにおける「剰余」──それはスペック表に載らないけれど、心に残る体験です。

SaaS企業の「剰余」

サポートの温かい対応
オンボーディングの丁寧さ
心地よいUI/UXデザイン
コミュニティの居心地の良さ

製造業の「剰余」

「困ったらあの会社に」と思える技術営業
図面の不備をそっと指摘してくれるプロ意識
タイト納期でも「なんとかしましょう」の柔軟さ
工場見学で感じる現場の清潔さと活気

AI時代、「名前の力」がさらに重要に

確定記述はAIに吸収される

「クラウド型CRM」「精密板金加工 小ロット」で検索すると、AIが複数サービスを要約・比較して回答。あなたのサイトにユーザーはたどり着かないかもしれません。

一般キーワード検索
→ AI が要約 → 複数社が横並び → 埋もれる

固有名はAIをすり抜ける

「Salesforce」「キーエンス」での検索は、AIの要約フィルターを通り抜け、直接ブランドのサイトへユーザーを導きます。

指名検索
→ AI をバイパス → 直接サイトへ → 独占的接点

Conclusion

「すごいから名前がつく」のではなく
「名前があるからすごくなる」

名前は属性の結果ではなく、属性に先立つ。
── ソール・クリプキの洞察より

SaaSであれ製造業であれ、「名前そのもの」の力を戦略的に育てることが、スペック競争の消耗戦を抜け出し、AI時代でもお客さまとの直接的なつながりを守る道です。

原則 1

命名を設計する

ユニークで簡潔で記憶に残る名前を最初に設計する。固有名として機能する名前が、すべての土台になります。

原則 2

因果連鎖を設計する

展示会、SNS、事例、パートナーシップ──あらゆる接点で「ブランド名」が確実に伝わる導線を作ります。

原則 3

剰余を蓄積する

スペックに載らない体験の積み重ねが、名前に愛着と信頼を宿らせ、「名前で検索される」状態を作ります。

あなたの会社のブランド名は、お客さまにとって
「他の何にも置き換えられない、唯一の名前」
になっているでしょうか?

「クラウド型で、API連携ができて、業務効率を30%改善します」「高精度・短納期・ISO認証取得済みの精密部品加工です」──あなたの会社の製品やサービス、こんなふうに紹介していませんか?

BtoBマーケティングの世界で、いま「指名検索」の重要性がどんどん高まっています。指名検索とは、ユーザーが企業名やサービス名を直接検索窓に入力する行動のことです。すでにそのブランドを知っていて、興味を持っている人の行動なので、一般的なキーワード検索と比べてコンバージョン率がとても高くなります。

でも、多くのBtoB企業が指名検索を増やそうとするとき、「もっと機能の良さを伝えよう」「導入実績をアピールしよう」という方向に進みがちです。もちろんそれも大切ですが、ここでひとつ、根本的な問いを考えてみましょう。

「機能や特徴をどれだけ伝えても、なぜブランド名で検索される状態にはならないのか?」

この問いに、驚くほどスッキリした答えをくれるのが、20世紀を代表する哲学者ソール・クリプキの「名前の理論」です。哲学と聞くと難しそうに感じるかもしれませんが、じつはとてもシンプルで、マーケティングにも深いヒントを与えてくれます。

そもそも「名前」って何だろう?──クリプキが問いかけたこと

「アリストテレス」ってどういう意味?

クリプキ(1940-2022)は、アメリカの哲学者です。18歳で数学の重要な定理を発表するなど、「天才」という言葉がぴったりの人物でした。

彼の代表作『名指しと必然性』(1972年)で展開された議論を、ざっくり説明しますね。

クリプキ以前の哲学では、「名前とは、その人の特徴をまとめたものだ」という考え方が主流でした。これを「記述理論」と呼びます。

たとえば「アリストテレス」という名前は──

  • プラトンの弟子
  • アレクサンダー大王の家庭教師
  • 『ニコマコス倫理学』を書いた人

──こうした特徴(これを「確定記述」と言います)をぜんぶ束ねた"まとめラベル"にすぎない、という考え方です。

なんとなく、そんな気もしますよね。私たちも普段、「あの〇〇をやった人」という説明で誰かを特定しています。

クリプキの「ちょっと待って」

ところがクリプキは、ここに鋭い疑問を投げかけました。

「もし、アリストテレスが実はアレクサンダー大王を教えていなかったとしたら?」

歴史の新発見で、「じつはアリストテレスは家庭教師をしていませんでした」と分かったとしましょう。

もし「アリストテレス=アレクサンダー大王の家庭教師」なら、「アレクサンダー大王の家庭教師は、アレクサンダー大王を教えていなかった」という意味不明な文になってしまいます。

でも、「アリストテレスは、じつはアレクサンダー大王を教えていなかった」という文は、ふつうに理解できますよね。矛盾も感じません。

つまり私たちは、「アリストテレス」という名前を、特徴の束とは別モノとして使っているということです。

名前には「特徴を超えた何か」がある

クリプキはこの考えをさらに押し進めました。

アリストテレスが哲学者でなくても、プラトンの弟子でなくても、あらゆる特徴を失ったとしても、「アリストテレス」は「アリストテレス」のままです。

ここからクリプキが導き出した結論は、とてもシンプルです。

名前(固有名)は、特徴や属性の束(確定記述)には置き換えられない。

名前には、スペックや経歴では説明しきれない「その人(もの)そのもの」を指し示す力があります。クリプキはこの力を「固定指示子(rigid designator)」と呼びました。どんな状況でも──哲学っぽく言えば「どの可能世界でも」──同じ対象をブレずに指し続ける、という意味です。

クリプキの理論──固有名と確定記述の違い 確定記述(属性の束) = 特徴・機能・スペックのまとめ ・プラトンの弟子 ・アレクサンダー大王の家庭教師 ・『ニコマコス倫理学』の著者 ・スタゲイラ出身の男性 特徴が変わると 指す対象も変わってしまう 固有名(固定指示子) = その人・ものそのものを指す名前 アリストテレス あらゆる特徴が変わっても アリストテレスはアリストテレス どの可能世界でも同一の対象を指す

図1:クリプキの理論では、「アリストテレス」という固有名は属性(確定記述)の束とは本質的に異なる。固有名はどんな状況でも同一の対象を指し続けるが、確定記述は状況によって指す対象が変わりうる。

これ、マーケティングの話とそっくりじゃないですか?

BtoB企業の「確定記述あるある」

さて、ここからが本題です。クリプキの話を、BtoBマーケティングに置き換えてみましょう。

多くのBtoB企業は、自社の製品やサービスをこんなふうに紹介しています。

SaaS企業の場合

  • 「クラウド型のプロジェクト管理ツールです」
  • 「AIを活用した営業支援SaaSです」
  • 「導入企業1,000社以上のMAツールです」

製造業の場合

  • 「公差±0.01mmの高精度切削加工ができます」
  • 「ISO 9001認証取得、航空宇宙グレードの品質管理体制です」
  • 「多品種少量から量産まで、短納期で対応可能です」

これ、ぜんぶ「確定記述」ですよね。「うちにはこんな特徴があります」という属性の束で、自社を定義しようとしています。

BtoBの購買は社内稟議もあり、合理的な判断が求められます。だから機能や特徴で説得しようとするのは自然なことです。

でも、ここにクリプキ的な"落とし穴"があるんです。

特徴で語ると「取り替え可能」になってしまう

「クラウド型で、API連携ができて、業務効率を30%改善するプロジェクト管理ツール」──この説明に当てはまるサービスは、市場にいくつも存在しますよね。

製造業でも同じです。「公差±0.01mm、短納期対応、ISO認証取得」──この条件を満たす加工会社は、日本中に何十社もあるでしょう。

つまり、機能や特徴だけで自社を語っている限り、お客さまから見て「別の会社でもいいよね」という状態になってしまうんです。

ユーザーが「プロジェクト管理ツール おすすめ」や「精密部品加工 短納期」と検索するとき、そこには複数の候補がズラッと並びます。特徴同士の比較検討が始まり、価格競争にも巻き込まれます。

一方、ユーザーが「Asana」「Notion」と検索するとき、あるいは「キーエンス」「ミスミ」と検索するとき、そこにはもう比較検討を超えた意志があります。「他でもない、この会社(サービス)が見たい」という気持ちです。

これこそが指名検索の本質であり、クリプキの言う固有名(=名前そのもの)の力なんです。

ブランド名は機能の"まとめラベル"じゃない

クリプキの理論に当てはめると、こう言えます。

「Salesforce」は「クラウド型CRM」の略称ではありません。「HubSpot」は「インバウンドマーケティングツール」と同じ意味ではありません。仮にそれらの機能がガラッと変わったとしても、SalesforceはSalesforceですし、HubSpotはHubSpotです。

製造業でも考えてみてください。「キーエンス」は「高精度センサーメーカー」の言い換えではありません。「ファナック」は「産業用ロボットの会社」と同義ではありません。仮にキーエンスがセンサー以外の事業に大きく舵を切ったとしても、キーエンスはキーエンスです。じっさい、キーエンスの事業領域はセンサーだけにとどまりませんが、「キーエンス」という名前が持つ力──技術力への信頼、営業力への評判、独自の企業文化──は、個別の製品スペックには還元できません。

スペックでは表現しきれない「このブランドそのもの」を指し示す力。これが、指名検索を生み出す源泉です。そしてこの力は、機能訴求をどれだけ積み上げても自然には生まれません。

クリプキの理論 → BtoBマーケティングへの翻訳 確定記述(属性の束) 固有名(固定指示子) 哲学(クリプキ) プラトンの弟子、家庭教師… アリストテレス SaaS企業 「クラウド型CRM」 「AI搭載の営業支援SaaS」 Salesforce HubSpot 製造業 「高精度センサーメーカー」 「産業用ロボットの会社」 キーエンス ファナック

図2:クリプキの「固有名 ≠ 確定記述」をマーケティングに翻訳した対応図。ブランド名は機能や特徴の"まとめラベル"ではなく、それ自体が唯一無二の指示力を持つ。

機能訴求だけでは限界がある理由

一般検索で勝っても、指名検索は増えない

BtoBマーケティングでは、「メルマガ 効率化」「BtoB 集客 デジタル」といった課題系キーワードや、「精密加工 小ロット 対応」「産業用ロボット 導入 費用」といったスペック系キーワードで上位表示を獲得する施策が重視されますよね。

これは確定記述的なアプローチとして有効ですが、構造的な限界があります。課題検索やスペック検索で来たユーザーは「自分の問題を解決してくれるもの」を探しているのであって、「あなたの会社」を探しているわけではないんです。

より良い機能を持つ競合が現れれば、そちらに流れてしまいます。確定記述は、状況によって指す対象が入れ替わるからです。

スペック競争は終わりがない

BtoBのSaaS市場を見渡すと、競合各社が似たような機能を次々とリリースしています。「AI搭載」「ノーコード対応」「他ツール連携可能」──こうした特徴は、もはや特定の一社だけのものではありません。

製造業でも事情は同じです。加工精度、納期、品質認証──どの会社も技術力を磨いて差を縮めてきます。「5軸加工機を導入しました」「検査工程を自動化しました」といったスペックの向上は、いずれ競合も追いついてくるものです。

特徴の束で差別化しようとする競争には、終わりがないんです。

クリプキが「名前は属性の束では捉えられない」と示したように、「なぜ他でもないこの会社を選ぶのか?」という問いには、機能リストやスペック表だけでは答えられません。

  確定記述型(機能・スペック訴求) 固有名型(ブランド名の力)
検索行動 「CRM おすすめ」「精密加工 短納期」 「Salesforce」「キーエンス」
ユーザーの状態 比較検討中・情報収集中 すでに指名したい意志がある
競合との関係 同条件で複数社と比較される 比較検討を経ずに選ばれやすい
コンバージョン率 相対的に低い 非常に高い
価格競争 巻き込まれやすい 巻き込まれにくい
クリプキ理論での位置づけ 非固定指示子(状況で指す対象が変わる) 固定指示子(常に同一の対象を指す)

表1:確定記述型アプローチと固有名型アプローチの比較。指名検索は固有名型アプローチの成果として生まれる。

じゃあどうすればいい?──「名前の力」を育てる3つのアプローチ

クリプキの理論には、名前がどうやって力を持つのかについてのヒントも含まれています。それをマーケティングに翻訳してみましょう。

1.「命名」を大切にする──最初の一歩がすべてを決める

クリプキは、名前がその対象と結びつく最初の瞬間を「命名儀式(baptism)」と呼びました。「この赤ちゃんをジョンと名づけよう」──この瞬間に、名前と対象のつながりが生まれます。

BtoBマーケティングでも、ブランドネーミングはいちばん最初の、そしていちばん重要なステップです。

指名検索の前提は、そもそもブランド名が「検索できる」ことです。ポイントは3つあります。

  1. ユニークさ──他社と混同されない独自の名前であること
  2. 簡潔さ──口頭でも伝えやすく、検索窓に入力しやすいこと
  3. 記憶しやすさ──一度聞いたら忘れにくいインパクトがあること

一般名詞の組み合わせ(例:「クラウド営業支援」「精密加工センター」)では、指名検索の受け皿になりにくいです。固有名として機能する名前を最初に設計することが、すべての土台になります。

製造業の世界でも、たとえば「ミスミ」「THK」「キーエンス」のような短くユニークな名前は、エンジニアや購買担当者の記憶にしっかり残ります。逆に「〇〇精密工業」「△△製作所」のような一般的な名称は、検索しても他社と混ざりやすく、固有名としての力を発揮しにくい面があります。もちろん社名を変えるのは簡単ではありませんが、製品ブランドやサービスブランドを新たに命名する際には、この視点がとても大切です。

2.「名前の受け渡し」を戦略的に起こす──因果連鎖の設計

クリプキの理論では、命名儀式で生まれた名前は、人から人へと受け渡されることで生き続けます。最初に名づけた人から、次の人へ、その次の人へ──この「因果連鎖」によって、名前はどんどん広がっていきます。

マーケティングにおいて、この「名前の受け渡し」を意図的に設計することが、指名検索を増やすカギになります。

具体的には、こんな施策が効果的です。

  • 業界メディアやカンファレンスへの登壇──業界の文脈でブランド名が繰り返し語られると、固有名としての認知がどんどん蓄積されます
  • SNSでの継続的な発信──企業アカウントを通じて、ブランド名がユーザーのタイムラインに定期的に現れる状態を作りましょう
  • 導入事例やお客さまの声の公開──第三者がブランド名を語ってくれることは、因果連鎖のいちばん強力な推進力です
  • 共催イベントやパートナーシップ──信頼ある他社のネットワークを通じて、新しい人にブランド名が届きます
  • 展示会での印象づけ──製造業であれば、展示会のブースで「社名と技術の結びつき」を体験してもらうことが、まさに命名儀式の追体験になります

SaaS企業であればウェビナーやユーザーカンファレンスが因果連鎖の起点になりますし、製造業であれば展示会や技術セミナー、工場見学なども強力な接点です。キーエンスが「技術資料のダウンロード」を通じてエンジニアとの接点を大量に作っているのは、まさに因果連鎖を戦略的に設計している好例と言えるでしょう。

ポイントは、どの接点でも「ブランド名」が確実に伝わるようにすることです。機能の説明だけが記憶に残って、名前が残らないのでは意味がありません。

「名前の力」が育つプロセス──命名儀式から指名検索へ STEP 1 命名儀式 ユニークな名前をつける STEP 2 因果連鎖 人から人へ名前が広がる STEP 3 剰余の蓄積 体験で名前に愛着が宿る 指名検索 🔍 ── 業種別の因果連鎖ルート ── SaaS: ウェビナー → SNS発信 → ユーザー事例 → 指名検索 製造業: 展示会 → 技術資料DL → 工場見学 → 指名検索 どちらも「ブランド名」が各接点で確実に伝わることがカギ

図3:クリプキの命名理論をマーケティングに応用すると、「命名 → 因果連鎖 → 剰余の蓄積 → 指名検索」という4ステップで「名前の力」が育つ。業種ごとに接点は異なるが、構造は共通。

3.「スペックに載らない体験」で名前に愛着を宿らせる

クリプキが示したのは、名前には特徴や属性では表現しきれない「剰余(あまりの部分)」があるということでした。

ブランドにおけるこの「剰余」とは何でしょうか? それは、スペック表には載らないけれど、心に残る体験です。

SaaS企業の「剰余」 製造業の「剰余」
カスタマーサポートの温かい対応 「困ったらまずあの会社に相談しよう」と思わせる技術営業の頼もしさ
オンボーディング(導入サポート)の丁寧さ 図面の不備をそっと指摘してくれる、ものづくりのプロとしての姿勢
使っていて心地よいUI/UXデザイン 納期がタイトなときでも「なんとかしましょう」と動いてくれる柔軟さ
ユーザーコミュニティの居心地の良さ 工場見学で感じる現場の清潔さや従業員の活気

表2:スペックに還元できない「剰余」の例。SaaS企業と製造業では接点は異なるが、名前に愛着を宿らせる構造は同じ。

たとえば、ある部品加工会社に発注し続ける理由を購買担当者に聞くと、「精度がいいから」だけではなく、「あそこは相談しやすい」「急な設計変更にも対応してくれる」「営業さんが技術のことをよく分かっている」といった、スペックに還元できない理由が出てくることが多いものです。

こうした体験の積み重ねが、「あの会社は何か違う」という感覚を生み出します。そしてこの感覚が、名前そのものに愛着と信頼を宿らせるんです。

ユーザーが「機能で比較する」のではなく「名前で検索する」のは、この剰余があるからこそです。

AI時代だからこそ、「名前の力」がもっと大事になる

機能の説明はAIに吸収されていく

2025年以降、ChatGPTやPerplexityといったAI検索の存在感がどんどん増しています。これらのAI検索は、「〇〇ができるツールは?」という質問に対して、複数のサービスを要約・比較して回答してくれます。

これは言い換えると、確定記述(機能や特徴)のレベルでは、AIが情報を中間処理してしまうということです。「クラウド型CRM」で検索しても、「精密板金加工 小ロット」で検索しても、AIが答えをまとめてくれるので、ユーザーはあなたのWebサイトまでたどり着かないかもしれません。

名前で検索されれば、AIを「すり抜ける」

一方で、「Salesforce」「HubSpot」のようなSaaS名、あるいは「キーエンス」「ミスミ」のような製造業の社名での検索は、AIの要約フィルターを通り抜けて、直接そのブランドのサイトへユーザーを導きます。

まさにクリプキの洞察と同じ構図ですよね。確定記述は状況によって指す対象が変わる(AIが別のサービスをおすすめするかもしれない)けれど、固有名はブレずにそのブランドだけを指し示します。

AI時代において、「名前で検索される力」は、BtoBマーケティングにおける最大の資産になりつつあるんです。

まとめ──「すごいから名前がつく」のではなく「名前があるからすごくなる」

最後に、クリプキの理論がくれる最も大切な「発想の転換」をお伝えします。

従来のマーケティング的な考え方では、こう思いがちです。

「優れた機能があるから → ブランドとして認知される」

まず確定記述(機能・特徴)を充実させて、その結果としてブランド名が力を持つ──という順番です。

でもクリプキが示したのは、その逆でした。

名前は属性の結果ではなく、属性に先立つ。

まず命名があり、その名前が人々の間に広がっていく。属性や特徴は、あとから経験的に見つかるものであって、名前の本質ではありません。

BtoBマーケティングでも、同じことが言えます。

機能訴求を超えて、「名前そのもの」の力を戦略的に育てること。確定記述の束としてではなく、固有名として市場に存在すること。SaaSであれ製造業であれ、それが指名検索を増やし、スペック競争の消耗戦を抜け出し、AI時代でもお客さまとの直接的なつながりを守る道です。

あなたの会社のブランド名は、お客さまにとって「固定指示子」──つまり「他の何にも置き換えられない、唯一の名前」になっているでしょうか?

それとも、いつでも別の会社に差し替えられる「スペック表の一行」にとどまっているでしょうか?

この問いが、これからのBtoBマーケティング戦略の出発点になるはずです。

参考文献・出典

最終更新日:2026-03-03
編集者:

中川 晃次

再生ファンド傘下の複数企業にて、マーケティングディレクターとして事業再生を牽引。戦略立案から実行まで一貫して手がけ、ECサイトにおいては売上前年比150%成長を5年連続で達成した実績を持つ。現在はマーケティングSaaS「tovira」の開発に加え、BtoB領域のマーケティングコンサルティングを通じて、企業の持続的な成長を支援している。

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