ジョブ理論で法人顧客の「本当のニーズ」を発掘:なぜ優れた製品が売れないのか
Marketing Strategy Insight
BtoBマーケティングの本質。
顧客の「本当のニーズ」を発掘
「顧客は製品を買っているのではない。
片付けたい『仕事(ジョブ)』のために製品を『雇って』いるのだ」
「顧客の声を聞いて開発したのに売れない」のはなぜか?
ハーバード大学のクリステンセン教授が提唱したジョブ理論は、表面的な要望の裏に隠された「真の目的」を特定し、イノベーションを予測可能にするフレームワークです。
ベースとなる理論・文献
ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費についての理論
著者:クレイトン・クリステンセン 他
行動経済学のバイブルであり、現代のUX/UI設計における核心的な思考の源泉です。
ミルクシェイクの逸話
従来の調査(失敗)
「もっと甘く」「量を多く」という顧客の要望に応えたが、売上は全く変わらなかった。
行動観察(発見)
朝の通勤客が「退屈な運転時間を紛らわすため」にシェイクを雇っていたことが判明。
ジョブの特定
競合はバナナやドーナツ。「手が汚れず、長く楽しめる」ことが真の採用理由だった。
B2Bにおけるジョブの複雑性
B2Bでは、一つの製品に対して複数のステークホルダーが関与します。彼らはそれぞれ「異なるジョブ」を抱えており、それら全てを調整することが成功の鍵です。
Value Proposition
個別のジョブを
満たす価値提案
Alignment
組織全体の
合意形成支援
ジョブを捉える3つの次元
機能だけではない、感情と社会性の深掘りが差別化を生む
機能的ジョブ
具体的なタスクや問題を解決すること。効率化、コスト削減、品質向上など。
感情的ジョブ
特定の感情を得たい、避けたい欲求。安心感、自信、達成感、ストレス回避など。
社会的ジョブ
他者からどう見られたいか。ステータス、社内評価、先進性の誇示など。
ジョブを
発掘する4つの手法
表面的な「アンケート」だけではジョブは見えません。顧客が不便を感じている瞬間を多角的に捉えましょう。
ジョブインタビュー
「検討のきっかけは?」
製品を「雇った」瞬間の状況を深く掘り下げる。
顧客の行動観察
「実はExcelで補完していた」
言葉にならない「不満」を現場で発見する。
解約・失注分析
「なぜ雇われなかったのか?」
価格や機能の裏にある真の理由を掘り下げる。
ジョブマッピング
「定義から完了まで」
顧客の業務フローを分解し、課題を洗い出す。
まとめ:ジョブ理論の実践原則
製品を「雇用」として捉える
顧客がその製品をどのような「進歩」のために雇ったのか?常に「ジョブ」を主役にして意思決定を行う。
3つの次元で深く理解する
機能だけでなく、感情・社会的背景まで把握することで、価格競争に巻き込まれない独自の価値を生む。
組織全体でジョブを追う
マーケ・営業・開発が「顧客のジョブ」を共通言語にすることで、一貫性のある強力な顧客体験を構築する。
「顧客の人生のどんな一部を、あなたは手助けしていますか?」
「顧客の声を聞いて開発したのに、なぜ売れないのか」
BtoB事業に携わる方なら、一度はこの疑問を抱いたことがあるのではないでしょうか。市場調査を実施し、顧客アンケートを分析し、競合製品を研究して開発した製品やサービスが、期待通りの成果を上げられない。この現象の背景には、私たちが「顧客のニーズ」を根本的に誤解しているという問題が潜んでいます。
ハーバード・ビジネス・スクールの故クレイトン・クリステンセン教授が提唱した「ジョブ理論(Jobs to be Done)」は、この問題に対する革新的な視点を提供してくれます。本記事では、ジョブ理論の基本概念から、BtoBビジネスにおける実践的な活用方法までを詳しく解説していきます。
ジョブ理論とは何か
「ミルクシェイク」の逸話
ジョブ理論を理解する上で、最も有名なのが「ミルクシェイクの逸話」です。
あるファストフードチェーンは、ミルクシェイクの売上を伸ばすために、顧客調査を実施しました。「もっと甘くしてほしい」「フレーバーを増やしてほしい」「量を増やしてほしい」など、さまざまな要望が集まりました。しかし、それらの要望に応えて改良を重ねても、売上は一向に伸びませんでした。
クリステンセン教授のチームは、別のアプローチを取りました。彼らは店舗に張り込み、「誰が」「いつ」「どのような状況で」ミルクシェイクを購入しているかを観察したのです。
すると、興味深い発見がありました。朝の時間帯に、一人で来店し、ミルクシェイクだけを買って車で去っていく顧客が多数いたのです。インタビューの結果、彼らは「長い通勤時間を退屈せずに過ごす」という「ジョブ(仕事)」を片付けるためにミルクシェイクを「雇って」いたことがわかりました。
バナナは食べ終わるのが早すぎる。ドーナツは手が汚れる。ベーグルは味気ない。ミルクシェイクは、片手で持てて、長時間楽しめて、腹持ちもよい。だからこそ選ばれていたのです。
ジョブ理論の核心
ジョブ理論の核心は、次の考え方にあります。
「顧客は製品やサービスを買っているのではない。自分の生活の中で発生した『ジョブ(片付けるべき仕事)』を解決するために、製品やサービスを『雇って』いるのだ」
この視点の転換は、マーケティングや製品開発のあり方を根本から変えます。従来の「顧客属性」や「製品カテゴリ」ではなく、「顧客が片付けようとしているジョブは何か」という問いを中心に据えるのです。
BtoBにおけるジョブ理論の重要性
BtoBならではの複雑性
BtoBビジネスでは、ジョブ理論の適用がより複雑になります。なぜなら、購買の意思決定に複数のステークホルダーが関与し、それぞれが異なる「ジョブ」を抱えているからです。
例えば、企業向けのソフトウェアを販売する場合を考えてみましょう。
| ステークホルダー | 抱えているジョブ |
|---|---|
| 現場の担当者 | 日々の業務を効率化したい |
| マネージャー | チームの生産性を可視化し、改善したい |
| IT部門 | セキュリティリスクを最小化し、運用負荷を軽減したい |
| 経営層 | 投資対効果を最大化し、競争優位性を確立したい |
| 購買部門 | コストを抑え、契約条件を有利にしたい |
同じ製品に対して、それぞれのステークホルダーが異なるジョブを持っています。BtoBで成功するためには、これらの複合的なジョブを理解し、それぞれに対する価値提案を明確にする必要があります。
機能的ジョブ・感情的ジョブ・社会的ジョブ
ジョブ理論では、ジョブを3つの次元で捉えます。
1. 機能的ジョブ(Functional Job)
具体的なタスクや問題を解決すること。BtoBでは、業務効率化、コスト削減、品質向上などが該当します。
例:「月次レポートの作成時間を半分にしたい」
2. 感情的ジョブ(Emotional Job)
特定の感情を得たい、または避けたいという欲求。安心感、自信、達成感などが該当します。
例:「経営会議でデータに基づいた提案ができるようになり、自信を持ちたい」
3. 社会的ジョブ(Social Job)
他者からどう見られたいか、社会的な立場やステータスに関する欲求。
例:「先進的な取り組みをしている部門だと社内で認められたい」
BtoB営業やマーケティングでは、機能的ジョブばかりに注目しがちですが、実際の購買決定には感情的・社会的ジョブが大きく影響しています。特に、導入の意思決定者や推進者個人のキャリアや評価に関わるジョブは、見落とされがちですが極めて重要です。
BtoBでジョブを発掘する実践的手法
手法1:ジョブインタビュー
顧客の「ジョブ」を発掘するための最も強力な手法が、ジョブインタビューです。通常のヒアリングとは異なり、顧客が製品・サービスを「雇った」瞬間の状況を深く掘り下げていきます。
インタビューで聞くべき質問例:
- きっかけ:「このソリューションを検討し始めたきっかけは何でしたか?」
- 状況:「その時、どのような状況にありましたか?何が起きていましたか?」
- 試行錯誤:「それまで、どのような方法で対処しようとしていましたか?」
- 不満:「従来の方法の、何が不満でしたか?」
- 決め手:「最終的に導入を決めた決め手は何でしたか?」
- 不安:「導入にあたって、不安や懸念はありましたか?」
- 変化:「導入後、何が変わりましたか?」
このインタビューを通じて、表面的な「機能要望」の背後にある「本当のジョブ」が見えてきます。
手法2:顧客の行動観察
顧客が実際に仕事をしている現場を観察することで、言葉では表現されないジョブが見えてきます。
あるBtoBソフトウェア企業は、導入企業の現場を観察した結果、ユーザーが頻繁にExcelにデータを書き出して加工していることを発見しました。ヒアリングでは「機能に満足している」と答えていた顧客が、実際には不足している機能を自前で補っていたのです。この発見が、製品の大幅な機能改善につながりました。
手法3:解約・失注分析
既存顧客が解約した理由、あるいは商談で失注した理由を深掘りすることで、自社製品が「雇われなかった」真の理由が見えてきます。
重要なのは、「価格が高い」「機能が不足している」といった表面的な理由で終わらせないことです。「なぜ価格が高いと感じたのか」「その機能がないと、どのようなジョブが片付けられないのか」を掘り下げていきます。
手法4:ジョブマッピング
顧客のジョブを体系的に整理するためのフレームワークが「ジョブマップ」です。
ジョブマップの8ステップ:
- 定義する:何を達成したいかを明確にする
- 位置づける:必要な情報やリソースを集める
- 準備する:実行のための環境を整える
- 確認する:実行前に最終チェックを行う
- 実行する:実際にジョブを遂行する
- 監視する:進捗や結果を確認する
- 修正する:必要に応じて調整を行う
- 完了する:ジョブを終え、後片付けをする
各ステップで顧客が感じている課題や不満を洗い出すことで、製品・サービスの改善機会が見えてきます。
ジョブ理論を活用した実践例
事例1:SaaS企業の価値提案の再定義
ある経費精算SaaSの企業は、「経費精算の効率化」を価値提案として訴求していました。しかし、ジョブインタビューを実施した結果、顧客の本当のジョブは以下のようなものでした。
- 月末の経理業務の残業をなくしたい
- 不正経費のリスクを減らしたい
- 経費データをリアルタイムで把握したい
この発見を基に、マーケティングメッセージを「経費精算の効率化」から「月末残業ゼロの経理部門へ」に変更したところ、リード獲得数が大幅に増加しました。
事例2:製造業向けソリューションの新市場開拓
ある製造業向けIoTソリューションの企業は、工場の「生産効率向上」を訴求していました。しかし、ジョブ分析を行った結果、中小製造業の経営者には別のジョブがあることがわかりました。
- 熟練工の退職に備えて技術を継承したい
- 人手不足でも生産を維持したい
このジョブに対応した「技術継承支援」という新たな価値提案を開発し、これまでアプローチできていなかった中小製造業市場への参入に成功しました。
事例3:既存顧客のアップセル
あるCRMベンダーは、既存顧客へのアップセルに苦戦していました。ジョブ分析の結果、導入推進者である営業マネージャーには「自分の部門の成果を経営層にアピールしたい」という社会的ジョブがあることがわかりました。
そこで、CRM活用による営業成果を可視化し、経営報告用のダッシュボードとレポートを自動生成する機能を開発。「あなたの成功を見える化する」というメッセージでアプローチしたところ、アップセル率が向上しました。
ジョブ理論を組織に浸透させるために
ステップ1:経営層の理解と支持を得る
ジョブ理論の導入には、組織全体の考え方を変える必要があります。まずは経営層にジョブ理論の価値を理解してもらい、トップダウンでの推進体制を構築することが重要です。
ステップ2:クロスファンクショナルなチームを編成する
ジョブ理論は、マーケティングだけ、営業だけ、製品開発だけで実践しても効果は限定的です。顧客接点を持つすべての部門が連携し、ジョブに関する知見を共有・蓄積していく体制が必要です。
ステップ3:継続的なジョブ発掘の仕組みを作る
ジョブは固定的なものではありません。市場環境の変化、競合の動向、顧客企業の成長などによって、顧客のジョブは常に変化しています。定期的なジョブインタビューや観察を継続し、常に最新のジョブを把握する仕組みを構築しましょう。
ステップ4:ジョブを起点にした意思決定プロセスを確立する
新製品の企画、機能の優先順位付け、マーケティングメッセージの策定など、あらゆる意思決定において「顧客のジョブは何か」「このジョブをより良く片付けられるか」という問いを中心に据えるプロセスを確立します。
まとめ:顧客の人生の中で果たす役割を考える
ジョブ理論の本質は、「自社の製品・サービス」ではなく「顧客の人生(BtoBの場合は顧客企業とその担当者のビジネス人生)」を中心に据える考え方です。
顧客は、製品やサービスが欲しいわけではありません。自分のジョブを片付けたいのです。そして、そのジョブを最もうまく片付けてくれるソリューションを「雇う」のです。
BtoBビジネスにおいて、この視点を持つことは競争優位性の源泉となります。機能スペックや価格で競争するレッドオーシャンから抜け出し、顧客のジョブを誰よりも深く理解し、それを解決するソリューションを提供する。それこそが、持続的な成長を実現する道筋です。
まずは、あなたの最も重要な顧客に「なぜ私たちの製品を選んでくれたのですか?」と聞いてみてください。そして、その答えを深掘りしてください。きっと、これまで見えていなかった「本当のニーズ」が見えてくるはずです。
参考文献:クレイトン・クリステンセン著『ジョブ理論 イノベーションを予測可能にする消費についての理論』(ハーパーコリンズ・ジャパン)

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